2009年12月23日
悲歌
短編集だったせいか、淡々とした恋愛の物語。
性別にこだわらない愛の形という点は好みだし、以前のような濃密描写はもうお腹一杯と思うのだけど、特殊な環境や人物像にしては恋愛の中身が普通・・・
ぎりぎりと読み手を引き絞るような、そういう物語が読みたいのです。
2008年03月13日
サイゴン・タンゴ・カフェ
![サイゴン・タンゴ・カフェ [単行本] / 中山 可穂 (著); 角川書店 (刊) サイゴン・タンゴ・カフェ [単行本] / 中山 可穂 (著); 角川書店 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/513TS-SBa2L._SL160_.jpg)
刹那の情熱をまとうタンゴとバンドネオンの音色を背景に、男女・親子・職業人同士の関わりを濃密に描いた短編集。
可穂さん、ますます熟してきましたね。
向き合う者同士の密度の濃さや、どこかけだるく退廃的で甘い雰囲気はそのままに、
ぶつかり合う想いが強ければ強いほど、一歩踏み外したら破滅しかないような痛々しさがなくなった。
代わりに、ぶつかり合う想いをお互いに内包しあうような、しなやかにたわんで持ちこたえるような強さが増した感じ。
タンゴをよすがに孤独さえも味方につけて、色香を失わず、時を重ねる人たちのたくましさ。
年齢を重ねることも、悪くないなと思わせてくれる。
以前の、きりきり魂を搾られるような緊張感あふれる恋愛も良かったけど、こういう力強く優しい物語、とてもいい。
2006年07月30日
ケッヘル
3年ぶりの可穂さんの新刊は、悩ましい彫像が表紙絵の上下2巻組だった。
これまで、歓喜と絶望を綱渡りするような激しい恋の物語に魅かれながらも、やや堪能したかな?という気分だった。
しかし今回は違った。魅力的な男性も登場する。これはきっと、彼女の代表作になるだろう。
ケッヘル。言わずと知れた、モーツァルトの作品番号。
そのモーツァルトに取りつかれたひとりの音楽家・鳥海武を父に、彼が渡り歩く女たちとピアノを母に、
特殊な環境に育てられた異彩の少年・遠松鍵人。
辰巳代議士の妻・千秋を奪い、逃避行のすえ常軌を逸し始めた千秋からも逃げ、疲れ果てた欧州の地でモーツァルトの話ばかりする不思議な’教授’に出会う伽耶。
伽耶が’教授’のはからいで勤めることになった旅行社業で起こる事件を、遠末少年の生い立ちという
時間軸の違うストーリーが補足するように追いかけ、不思議な縁で関わっていく。
モーツァルトの曲に生きる人たちの濃密な、あるいはストイックな恋愛あり、信念のみを頼りに生きる親子の壮絶な姿あり、読み進むうちにぴたりぴたりとキーワードがはまっていくような謎解きの醍醐味あり。
モーツァルトに詳しければ、示す番号がどんな曲なのかわかればもっと楽しめただろうと残念だが、それを差し引いても、とても良かった。
2004年07月16日
弱法師
表紙絵が能楽面なのは何でかな?と思ったら、能をモチーフにしたという中篇3編だった。
能楽について無知なので、原作はどんな物語なのか気になってちょっと調べてみたが、
「弱法師」「卒塔婆小町」の2編は三島由紀夫作の近代能楽がもとになっているように思われる。
三島がそういうものを書いていたこと自体、知らなかった。
ここから近代能楽、三島・・・と繋げて読んでいけばおもしろいのだろうが、なかなかそうはならないところが私の凡人たるゆえん…
進行性の難病を患う少年と、その主治医、少年の母親の3人それぞれの、全うされることのない愛情を描いた『弱法師』。これはエロチックだった。それも、着物のすそから足首がちらりとのぞくような、ぞくりとする感じ。最初から、死という終焉に向かう物語のせいかもしれない。
3編の中では『浮舟』が一番好き。
体の弱い母に代わって自分を育ててくれた、父の姉である薫子おばさんが大好きな碧生。
両親と薫子おばさんの間にはただならぬ事情があったのだが、愛憎交えた関わりが、母の死によって
また新しい形となって落ち着いていく。
本来薫子という人は、何もかもを突き詰めてしまう破滅的な人なのだろうけれど、長い時間かけてはぐくまれる家族愛という居場所があったから、壊れずにすんだのかなと思う。
自分がぼろぼろになることもいとわない、深い愛情を心の奥底に秘めた、強く見える人。
可穂さんの描くこういう人が、私は好きなんだなぁ
2003年04月29日
マラケシュ心中
青々とした空と、その下に悩ましくなだらかな稜線を描く赤茶けた砂漠。
この美しい装幀を読み終えてから見ると、3人の痛ましいほど激しい愛憎を飲み込んだ風景だったのだと、改めて心を揺さぶられる。
男の名を持つ歌人・緒川絢彦が、結社の歌会で一目ぼれした小川泉は、恩師で歌壇の重鎮である小川薫風先生の妻だった。
伝えてはいけないと抑えれば抑えるほど想いはほとばしり、本人も気付かないうちに泉もまた、その恋にとらわれていく。 友達。なんて都合のいい関係。
でも絢彦は、全て手に入れるか、そうでなければ何も要らないという激情の人。 思えば、友達という関係であっても、決して失いたくないというのは、すでに恋に落ちた者の言葉ではないか。
やがて泉も、人を傷つけずにはすまない恋をしていることに気付き、恋に身をもむ妻を目の当たりにして、老いた夫もまた静かに嫉妬にあぶられていく。
絶望のうちに逃げ、逃げられれば追い、日本を遠く離れたモロッコ、マラケシュの地で、ふたりはようやく心と体を交し合う。 ようやくふたりのスタートと喜んだのもつかの間、疑惑、裏切りと、上り詰めては奈落まで突き落とされる、愛憎の波。
妻とふたり、尊敬といたわりで穏やかに生きていくはずだった先生は、年の離れた妻をいずれ残して死んでいかなくてはならない無念さを、きっと抱えていたに違いない。
死を無理強いしてでも自分の思いを成就しようとした彼もまた、哀れだと思う。
けものの匂いをまとう絢彦、妻を奪いに来るものに死をもって抵抗した先生、何の見返りも期待せず、子どもに愛しい人の名前をつけて想い続けた泉。
いずれも息苦しいほどまっすぐで激しい。
再会したふたりが、終わりのない恋をまた始められるといい、そう思った。
可穂さんの作品は、その描写の濃密さにやや食傷気味だったけれど、今回はどこかいい感じに乾いていた。泉のバランスの良さが、物語を上品にしていると思う。
2002年07月30日
深爪
「深爪」なつめ、「落花」吹雪、「魔王」清のそれぞれ三者から見た、一つの物語。
「深爪」 翻訳家のなつめは、恋人の吹雪と2歳の息子・嵐がお昼寝をしている間、彼女の家のレッスン室であわただしく逢瀬を重ねていたが、いつも全力で愛することしかできないなつめは離婚を迫り、やがてふたりとも疲れきって別れた。
そして1ヶ月近くたった頃、吹雪の夫から、彼女が新しい恋人を作って家を出たことを知らされる。
「落花」 何度別れようとしてもなつめと別れられず苦しむ吹雪を、楽天的でいい父でもある夫・清は理解しよう、受け入れようとしてくれていた。消耗していく吹雪は、やがてなつめとは全く違うタイプの笙子と出会い、何も望まない強い愛情に、自分を偽ることをやめ、ついに嵐を置いて家を出る。
「魔王」 妻が出て行った後、妻の女性相手の恋愛をうまく認識できないまま、残された嵐との生活に追われる清は、自分の中に女性的な一面を見出す。
やがて嵐のために親権を吹雪に譲り、月に一度の面会を楽しみにするのだった。
勝手気ままな吹雪以外は、みないい人ばかりだ。
許せること、我慢できないこと、その許容範囲は人それぞれだけど、特に清はあまりにいい人なので、私だったら少し息苦しいかもしれない。
誰しも女性的な部分、男性的な部分というのはいくらかの割合で持っていると思う。
清はただ子煩悩なだけでなく、母性愛に富んだ、だからこそ吹雪の男性的な奔放さに憧れ、精神的に依存していた気がする。
恋愛描写が生々しくて、ちょっと引いてしまうが、父も母も、なつめも笙子も、みんなの子供を想う気持ちだけは本物だと感じられて良かった。
2002年03月29日
花伽藍
![花伽藍 (角川文庫) [文庫] / 中山 可穂 (著); 角川書店(角川グループパブリッシング) (刊) 花伽藍 (角川文庫) [文庫] / 中山 可穂 (著); 角川書店(角川グループパブリッシング) (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61ItxyhCDPL._SL160_.jpg)
初の短編集。
『花伽藍』 : ある日突然、店をつぶし借金取りに追われて転がり込んできた夫は、元家族だった人達のことを思い出させた。
苦手だった義母は亡くなり、飄々とした義父は痴呆が始まり、風変わりだが細かい心遣いをしてくれた義姉ユリちゃんは、奈良の旅館で義父の面倒をみながら住み込みの仲居をしているという。
元夫にわずかな貯えを持たせて送り出したあと、やってきた取立て屋に追い立てられたコーコはユリちゃんを訪ね、桜の花降りしきる花伽藍の中で新しい生き方に思いをはせる。
濃密な描写がないことで、とても新鮮に感じた作品。
親の愛情に飢えた子供時代をすごしたコーコと、ありあまる両親の愛情を受けてのんびり育ったヒロシ。
甘ったれで店もつぶしたどうしようもないボンボンのヒロシだけれど、ぬか床をかき混ぜる関西弁の優男はどうにも憎めない存在だ。
そして、いまだに親を許せないというコーコに、気が済むまで恨めばいいという元船乗りの義父も、
その血を受け継いで放浪癖のあるユリちゃんも、世間の常識から外れているようで、相手の立場や気持ちで物事を考えられる、一本筋の通ったすてきな人達だなぁと思った。
それにしても、雪のように舞い散る桜、花伽藍…どんなだろう?想像するだけで、ぞくぞくする。
そんな中に身を置いてみたいと、強く思った。
『燦雨』 : 40歳の時、息子の高校の美術教師だった伊都子と出会い、暮らし始めたゆき乃。
28年の年月はふたりに老いをもたらし、寝たきりになり痴呆も始まった伊都子と、介護することで共に生きようとするゆき乃の晩年を描く。
普通の夫婦だと、加齢とともにお互いへの執着や情熱も薄らぎ、穏やかになるもので、それは自然でいいことだと私は思っている。
老いは残酷だ。 けれど誰にでも等しく訪れる。
年を重ねると、どう生きるか以上に、どう死ぬかというのが、とても大事なことに思えてくる。
真似はできないし、とてもしんどいことに思えるけれど、この二人のように70過ぎても女でありつづけ、パートナーと生きることを選ぶ、そういう生々しい生き方もあるのだなぁと思った。
他、いずれもパートナーとの濃密な逢瀬と別れを描く、『鶴』 『七夕』 『偽アマント』 所収。
2002年03月24日
白い薔薇の淵まで
雨のそぼ降る深夜の書店で、キャリアウーマンのクーチと、いつまでも二作目の書けない作家・塁は出会い、そして恋に落ちた。
誇り高くわがままでひたむきな塁は、全身全霊をかけてクーチに向かい、クーチもまた、かたくなな心を抱えた塁から離れられなくなる。
けれど、言葉とクーチへの愛以外何も欲しない塁に対し、家族への思いやりと、結婚して子供を産むという穏やかな生活をも捨てきれないクーチ。 そして訪れる別れ。
もともとそれが、クーチのいるべき場所だった気がする。
病気に倒れた父へ寄せるクーチの深い、深い思い。
「お父さん、お父さん・・・・わたしのお父さん」呼びつづける声は、心を締めつけるようだ。
そんな思いを越えてなお、激しい想いは、幾たびもふたりを出会わせる。
快楽だけで結びついていたのではないと感じる。
決して自分をさらけださない、生きていることが後ろめたいかのような塁は、見た目の激しさとは裏腹にあまりにはかなく頼りなくて、放っておけばどこかでひとりで死んでしまうのではないかと不安にさえなる。
そんな塁の不器用さが、愛しくてならない。 私もまた、孤高の人には弱いのだ。
塁は家族を小説に書くことで、生きていてもいいのだと思えただろうか。
心安らかであればいいと願う。
2001年12月04日
サグラダ・ファミリア
舞台を降り、ホテルやレストランでの伴奏屋としてピアノを弾く響子のもとに、かつての恋人・透子がシングルマザーになって現れた。
そして彼女への情熱と、子供との間でとまどううち、透子が事故で死んでしまう。
父親は行方不明、親戚一同にたらい回しにされる遺児・桐人を見かねた響子は桐人ガなついている父親の元パートナー・照ちゃんに助けられながら、桐人を育てていくことを決意しやがて本格的なピアニストとしても復帰していく。
一気に読みきる間、何度もうるっと来た。 切なくて、痛々しくて、喜ばしくて。
可穂さんの描く主人公はいつも、激しく純粋だ。
狂おしいほどパートナーを愛し、恋に破れてはボロボロになる。
程ほどという事がなく、良くも悪くも全身全霊で、あまりにも不器用だ。そこが魅力なのだけれど。
梅ばあ、という人がまた、粋だ。 響子にとっては、愛人でありながら、親であり人生の師匠ともいえる 彼女との、心から信頼しながら決してもたれ合わない関係が、すてきだ。
やせ我慢をしてでも、相手の前に立つ時は最高の自分であろうとする。
今時、こんなハンサムな人がいるだろうか? かっこいいなぁとため息が出そうだ。
響子は子供嫌いだというが、桐人の小さな手のやわらかさを感じ取れるなら、そうではないと思う。
愛し方を知らないだけ、子供という未知の存在が自分のペースを乱すのが怖いだけ、なのだ。
きっと桐人は、想像以上に響子を振り回し、「やっぱり子供は嫌いだ」と思う時も来るかもしれない。
それでも、血のつながりにあぐらをかかず、常にお互いを気にかけ、思いやらなければ成り立たない
「家族」なだけに、 きっとすてきな家族になるだろう。 なって欲しいと思う。










![天使の骨 (集英社文庫) [文庫] / 中山 可穂 (著); 集英社 (刊) 天使の骨 (集英社文庫) [文庫] / 中山 可穂 (著); 集英社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/31RA9E80TDL._SL160_.jpg)