2007年12月24日

永遠を旅する者

永遠を旅する者 ロストオデッセイ 千年の夢 [ハードカバー] / 重松 清 (著); 講談社 (刊)

永遠の命を持ち、一千年の時を旅してきたカイムの物語。
「ロストオデッセイ」というゲームのために書かれた短編集なんだそうで、そうと知って読まなければ重松さんの手によるものとはわからない。

記憶の断片のような小さな物語が、延々と続く。
思うのは、正しいこととか幸せというものが、いかに普遍的でないかということ。
そして悲しいかな、人は戦うことがそんなにも好きなのかということ。
いつかは終わる、からこそ、旅はそれ自体が目的にもなりうる。
繰り返される喪失の中で、自分ただひとりが終わらない。
絶望することさえ、無意味だとしたら。
それはなんて残酷で哀しいことだろう。


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2007年09月02日

青い鳥

青い鳥 [単行本] / 重松 清 (著); 新潮社 (刊)

いろいろな事情や思いで、学校での日々がつらいものとなっている少年少女たちが、臨時講師の村内先生と出会う連作短編。

村内先生は、国語の教師だけれど、吃音がある。特に「カ」行と「タ」行がひどい。
誰に何を言われてもふんわりと静に微笑んで、大切なことしかしゃべらないからと、一生懸命話す。
村内先生は、「問題あり」とされた子やクラスのために、乞われて学校を回る、特別な先生なのだ。
けれど村内先生に何らかの影響を受けるのは、生徒ばかりではない。
自分達ではどうしようもない現状を、救世主よろしく現れて、何ができるものかと構えて迎える教師もいたことだろう。
生徒たちの上に立ち、自分の思い通りに動かすことで、何年も何事もなく送り出してきた教師もいたのだろう。
それぞれに正しいと思うやり方があるのは、先生もひとりの人間としていろいろなんだから仕方ない。

村内先生は、怒らない。
上から物を言うでもなく、べたべたと肩を抱くでもない。
ただひとり、何も言わずにじっと苦しんでいる子のそばにいる。
血を流しながら何でもないふりを続ける子の、声なき声を聴き取るためだけに、やってくる。
時には、忘れてはいけない大切なことを目の前に突きつけ、膿みをださせることもある。
「正しい」言葉に裏に嘘の匂いをかぎつければ、はっきりそれは嘘だと言う。
先生のくせにと言われても、わからないことはわからないと言う。
誤解されることを恐れず、自分の素直な気持ちや考えを伝えようとする。
誰も決してひとりではないんだよ。
そう気づいてもらうために、今は自分がそばにいるんだと。

家でも塾でも普通の話せるのに、学校では自分に籠ってしまう子。
先生を刺してしまい、鑑別所から元の学校に戻った子。
級友を自殺未遂に追い込んでしまったクラスの子。
人を見下し自分の思い通りに動かすことで、自分を保っている子。
人と同じようにできないことで、自分の存在は迷惑なんだと自己卑下し続けてきた子。
バカにしている級友たちとの関わりをわずらわしく思う子。
小学校からの一貫校にうんざりし、ひとりだけ高校受験を決めた子。
けれどひとりひとりは、そんな一言で片づけられないほど、いろいろなことを考え、迷い、自分を責めたりしている。

読むほどに、胸がどきどきするほど痛々しくてたまらない。
学校は集団生活だ。そして集団の力にはすばらしい面もたくさんある。
けれど、周りの「みんな」が難なく超えられるハードルの前で立ち止まってしまい、「みんな」からはみだし傷ついている子の何と多いことか。
「みんな」を作りあげるには、最大公約数と、無意味でうさんくさいほどの「正しいこと」が必要だから。
「みんな」という形のないはずのものが個人に向かうとき、それは良くも悪くも大きな力を持つ。
がんばれとか素直になれという言葉が、いかにそういう子たちを追い込み、萎縮させていることか。
想像力が足りない。大人も子どもも。
その隙間に落ちた子たちをすくい上げ、倒れかけた子に手を沿えるような村内先生。
かなりの吃音を持ちながら、「間に合って良かった」という村内先生には、どれほどの思いがあるんだろう。

どれも胸に痛く、憤ったり打ちのめされたりした末、「間に合った」生徒たちのこれからに希望が持てたけれど、 最終話、かつての教え子が村内先生に再会する「カッコウの卵」はもう、滂沱の涙。
未来を築けた元生徒にばんざい。
ひとりの生徒を育てた村内先生にばんざい。
ああしかし、村内先生はもう、寂しくはないのだろうか。
彼はまだ、自分の内に誰も立ち入らせていないような気がする。
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2006年02月06日

その日のまえに


その日のまえに

その日のまえに

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/08/05
  • メディア: 単行本


長編かと思っていたら、身近な人の死にまつわる連作短編集だった。
「その日」は号泣。でもそれは小説としてではなく、おそらく経験から来るリアルさが耐え難かったんだという気がする。 重松さんの描く父親は、父親としてがんばりすぎている。
長年寄り添った妻を失うというのに、子どもに思い切り泣かせてやるためには親が泣いちゃいけないなんて、私は思わない。その辺が、男と女じゃ違うのかな。
衝撃的で思うことはいろいろあった。けれど感想は書きにくい。

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2006年01月26日

きみの友だち


きみの友だち

きみの友だち

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/10/20
  • メディア: 単行本



小学生の時に事故で左足を悪くして以来、松葉杖の離せない恵美に「きみ」と呼びかけながら語られる、彼女と弟、そして彼女達に関わった何人かの少年少女たちの物語。

「きみ」と、他の人には入り込めないふたりの世界を作り上げていく由香ちゃん、そんなふたりの姿を横目に、「友だち」や「みんな」という言葉に振り回され、 時に体や心に痛手を負いながら、自分自身を探っている少女たち。「みんな」の中に埋もれている安心感と、「みんな」からはじかれてしまうことへの恐怖。
「閉じている」ふたりを哀れむ一方で、憧れてもいる。

一方弟・ブンの方は、突然の転校生・モトにお山の大将の座を奪われ、ぶつかり、やがては彼と無二の好敵手としての間柄になっていく。
そして人生に勝ち負けなんてないけれど、たった一人しか選ばれない物事はある。
ブンもモトも、とてもいいコだ。誇りも悔しさも自分の弱さも全部ひっくるめて、相手の気持ちを自分のことのように感じられる。
また無敵のふたりの周りには、憧れ、うらやみ、はなから勝負を降りる者もいれば、敵わないやりきれなさに逆恨みする者もいる。そんな揺れ動く心の内が、鮮やかだ。
弟の物語にぽつりぽつりと登場しては、ぶっきらぼうな物言いで痛む心にするりと入り込んでしまう「きみ」は、失ったものに見合うだけの大切なものを手に入れていたんだろう。

どんなに冴えない少年も、見ているほうが痛々しくなるような少女も、それぞれの人生では主人公だ。彼らの気持ちをすくい上げ、見つめる語り手の視線が優しい。
そのわけが最後の物語で明らかになる。叶わなかった願いへの思いと祝福の気持ちで、胸が詰まった。
相変わらず重松さんは、痛い。けれど物語全体を包む暖かな目に、幸せを感じられてよかった。
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2004年01月14日

送り火


送り火

送り火

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/11/10
  • メディア: 単行本


電車が繋ぐ街と街、そこに生きる人たちを描いた短編集。「著者初のアーバンホラー」などと銘打ってあるのでどんなものかと思ったが、 ちょっと奇妙な事や不気味な部分もあり、でも重松さんらしい人と人との関わりを描いた作品集だったと思う。
悪気はないけれど無神経なおばさんや夫、公園を仕切る母親、自分で人生を選び取ることのできなかった元若者・・・と、怖いのは結局人間だった。
『送り火』・『もういくつ寝ると』親子の物語はいつも甘酸っぱく切ない。
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2003年10月12日

哀愁的東京


哀愁的東京

哀愁的東京

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2003/08/21
  • メディア: 単行本


ああまたこんな感じかぁと思いながら、なぜか読んでしまう重松さん。
生きる哀しみを引き受けたおとなのための・・・という物語の主人公は、かつて1冊だけ絵本を上梓したきり2冊目が書けなくて、 埋め草程度のライター仕事でしのいでいる40歳過ぎの男。
妻と娘は渡米し、別居状態が続いている。
1冊目の絵本の大ファンだという担当編集者のシマちゃんに、ゲキをとばされたり慰められたりしながら、自分や自分に関わる人々の生き方に哀愁を感じたりしているわけである。

まぁいろいろありながらも、何とか糊口をしのぎ、子どもに関わったり、ふと自分の来し方行く末を考えたりして生きていくというのは、誰しもそうだと思う。
作者と同世代の私ではあるけれど、まだ自分の今いる場所に哀愁を感じたりはしないし、人生って哀しいよねなんては言いたくないのだ。もっとも男の人は、地域や家庭に根っこを下ろしてなかったりするから、そういう寄る辺なさを感じることは多いのかもしれないね、とは思うけど。
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2003年09月10日

疾走


疾走

疾走

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2003/08
  • メディア: 単行本


周りにろくでもない大人しかいなかったばかりに、15歳にして人生の辛酸をなめつくした末命を落とした、シュウジの物語。
たたみかけるように、これでもかこれでもかとシュウジを襲う、裏切り、憎悪、無関心。
こんなことがあっていいのか、と思う。ここまで痛めつけおとしめなければ、この物語は成立しなかったのか、とも思う。 唯一まともな大人である神父にしたって、来るものは拒まないだけで、やはり傍観者ではないか。
エりと最後に心を通わせ彼女を生の側に突き飛ばすことで、シュウジは自分の人生、良しと思えたんだろうか。 孤独ではないと思えただろうか。残されたエリは、どうなってしまうのか…
衝撃的な物語ではある。けれど心根の優しい少年が、ずるずると不幸の渦に巻き込まれていくのを成す術もなく追うしかないのは、やりきれない。 内容の残酷さに反して、読後感は不快ではないけれど、できるならシュウジにはエリと共に歩む人生を与えてあげたかったな。
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2003年01月10日

きよしこ


きよしこ

きよしこ

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 単行本


吃音があって、思うことがうまく伝えられない少年きよしは、父親の仕事の都合で度々転校することになる。 小学3年生から高校3年生までの、行く先々で出会ういじわるな、変わった、さびしがり屋の、優しい人々との交流と少年の成長を描く7話。

小さい頃、祖父母の家に置き去りにされたことが吃音の原因になっているのではないかと少年はおぼろに考えているが、そうとわかっても吃音は直らない。
自分と違う立場の人、自分にはわからない悩みを抱えている人を傷つけるのは、なんて簡単なことなんだろう。笑われても、同情されても、かばわれても少年は傷つく。 それでも繰り返される転校のたび、あきらめたり歯を食いしばったりしながら、自分の居場所を見つける術を学び、たくましくなっていく。
吃音がなくても、できあがった集団の中にぽつんと放り込まれる転校というのは、ずいぶんと大変なことらしい。 そういえば、同じく転校を繰り返してきた夫は、「転校初日が大事。そこでなめられたら、ずっとなめられることになる」とよく言っていたな。
うまく言葉が出ない小さい子は、たたいたり噛んだりする。
気持ちを言葉で伝えられないというのは、とても苦しいことに違いない。

言葉以上のものをくみ取り、少年に自信を与えようとした石橋先生の『北風ぴゅう太』、生徒思いの先生と仲の良いクラスメートというできすぎな程の状況なのに、 悔しいくらい感動してしまった。
重松さんの描く主人公が少年のお話は、やっぱりいいなぁと思う。
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2002年12月30日

小さき者へ


小さき者へ

小さき者へ

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 単行本


相変わらず家族に焦点を当てた短編6編。
子どもにとっては父親、自分の親にとっては息子、妻にとっては夫であり、自分の子の父親であるひとりの男が、それぞれとの距離に悩んだりうろたえたり覚悟したりする、 等身大の『海まで』が一番好き。
みじめな自分もさらけ出し、一人の人間として正面からぶつかり心を開かせようとする父親像の『小さき者へ』は、 たぶん男の人なら共感できるのだろうと思うけれど、私はどうしても妻の立場から見てしまい、くどいなぁという印象を持ってしまった。
家族は大事なもの。でも、加齢とともに形を変えていくもの。放っておけば壊れるし、いじりすぎてもまた壊れてしまう。どの時点でどう距離をとるか、それが難しいんだなぁ
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2002年07月15日

日曜日の夕刊


日曜日の夕刊 (新潮文庫)

日曜日の夕刊 (新潮文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 文庫


どうという事はないのに、親子・男女の思いやり、後悔、追憶、あきらめ、覚悟・・・そんな重なり合う様々な思いが、どこか懐かしくてほろ苦い短編集。
どれも味わい深く、きちんとまとまった話だが、特に良かった4編を挙げる。

『チマ男とガサ子』
「きちょうめんできれい好き」が付き合ううち「チマチマしてて神経質」と評されるようになり、7回の失恋を繰り返してきたぼく。  19回目の合コンで知り合い親しくなった加奈子は、超A級のガサ子でそんな加奈子を更生させようとはりきるぼくは、彼女のあまりのアバウトさに。 完全にノックアウトされてしまうのだった。
思いつきと行き当たりばったりで生きてきた、筋金入りのガサ子である私にとっては、うれしいエンディングだった。 チマ男さんは、ある意味尊敬もするけれど、一緒に居たらやっぱり疲れるだろなぁ

『サマーキャンプへようこそ』
勉強もスポーツも得意でルックスにも自信があるのに、コドモらしくなくて協調性がないと担任に
不評をかったぼくは、単純なパパと心配性なママのおかげで「父と子のふれあいサマーキャンプ」に参加することになった。  ところが他の参加者はみんなアウトドアの達人風で、キャンプを軽く見ていたパパは、テントも組めず、火も起こせず、いいとこなし。  僕はスタッフのリッキーさんにも他の子供らしい子供たちにもなじめず、僕たち親子は周囲からすっかり浮いてしまっていた。
自然の中で体を使って遊ぶこと、それはとてもすてきな事だと思う。
でも、子供らしくだのわんぱくだのと、自分の価値観や感想を押し付けられたら、ちっとも自由なんかじゃない。  リッキーさんみたいな勘違い野郎って、いるよねーけっこう。
悪気がないばかりか、自分はいいことをしているつもりでいるから、タチが悪いのだ。 
パパは失敗ばかりでかっこ悪かったけど、イメージでなく、そこにいる僕をちゃんと見てくれている。
本当に子供に見せるべきは、こういう姿なんだと思う。 情けないけど、愛すべきパパ。
本音で向き合うには、かっこつけてたんじゃ始まらないのだ。

『後藤を待ちながら』
小3の息子を連れて中学の同窓会に出席したぼくは、中3の時クラス中からいじめられて手首を
切ったゴッちゃんが出席するらしいと知り、ちょうど同じようにいじめにあい不登校中の息子を通して25年前の自分たちを思い、謝罪の念でいっぱいになる。
後藤は会場に現れたのだろうか?どんな話ができたのだろう?
いじめる方、いじめられる方双方の立場を知ることになり、今度こそ逃げずにゴッちゃんに向かおうとする主人公の気持ちがひしひしと伝わってくる、 すごく痛い所を衝かれるような物語。

『卒業ホームラン』
少年野球チームの監督をして6年、6年生の息子・智と自分にとって最後の試合が行われたが、
監督として、最後まで息子を試合に出してやれなかった。
最近投げやりになっている中二の典子は、「がんばったって、何にもいいことなんかない」と言い放つ。 それでも智は一生懸命で、中学になっても野球を続けるという。
智は、一度も試合に出られなくても、「野球が好きだから」野球をやるという。
すごく当たり前のことだけれど、なかなかそう素直に出てくるものじゃない。純粋なんだなぁ
親として、監督として、二つの気持ちにゆさぶられる父は大変だっただろう。
中2の典子の抱える無気力も、きっと根が深い。弟のがんばりを見たぐらいで、じゃあ私もというわけにはいかないだろう。それでも、投げ出すわけにはいかないのだ。 
生きていくのは、スポーツのように勝ち負けや順番がはっきり見えることばかりじゃない。
すごく単純だけど、この家族なら大丈夫かな、という気がした。
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