2009年06月06日
森に眠る魚
子どもを通して知り合った母親たちが、やがてその子どもの教育に対する姿勢により関係性をゆがめていく物語。
久々に読みごたえのある角田作品だった。
小さい頃から習い事をさせるべきで、幼稚園に入れば小学校の入試を有力な選択肢と考える人が多いというのは多分に地域的なことがあると思う。
教育にそこまで野心を燃やすことになじめない部分もあるけれど、そういう特殊性を除けば、どこにでもあり、誰にでも起こりうる普遍的なことに思える。
だって彼女たちは、友だちが欲しかっただけなのだ。
それぞれが、鬱屈を胸に抱えている。
暮らしが楽でないこと、親や家族との不仲、平凡であることへの不満、人付き合いがうまくできない性格、冷えた夫との関係。
こんなはずではなかった、自分が望んだのはこんな事ではなかった、自分が認められないのは、相手が無理解だからと批判する。
人を見下すことで自分の優位と気持ちの平静を得る。
ドロドロとした悪感情は気が滅入りそうだが、それを否定したり責任転換ばかりしているのが、さらに辛い。
自分の立ち位置がぐらぐらしているから、相手に求めるばかりになってしまう危うさ。
やがてすれ違いが猜疑心を生み、卑屈になり、あるいは攻撃的になり、友だちと望んだ人を失っていく。
誰かと比べることでしか価値を見出せないというのは、空しいことだ。
なんてさびしい人たち。
ちゃんと子どもを愛せているのに。もっと自分も愛せれば良かったのに。
繭子の短絡さは危うい。
千花は少したくましくなった。けれど受験はまだまだこれからも続く。
かおりは課題を見つけたが、衿香の傷はたぶんそう浅くはない。
ひとり受験に合格させた瞳は、過食から抜け出せるのか。
一番怖かった蓉子は落ち着いたかに見えるが、自己表現できない息子が不安だ。
子どもは育てたように育つ。そして正解はない。
母よ、孤独と闘いたくましくあれとエールを送りたい。
2008年10月26日
三月の招待状
2008年04月22日
福袋
開けてみなくちゃ中身はわからない、福袋。そんな内容の8つの短編。
望んで手に入れたり、あたりまえのように持っていたりしたものも、袋を開けてみれば期待通りとは限らず。
ほんの少しの落胆なら、どうせそんなもんだと割り切ることもできるけど、思い込みが強ければ強いほど、期待はずれは裏切られた気持ちにさえなる。
こんな人だとは思わなかった。
そんなふうに思っていたなんて知らなかった。
開けなきゃ良かった。知らずにいられればそれでも良かったのに。
欲しくもなく、かといって捨てるもならず、折り合いをつけて持ち続けるのか、済んだことにしてしまいこむのか。けれど一度開いてしまった袋は、どこへも返せない。
「母の遺言」・・・いろいろな意味で、こういう事態だけは避けたい。
こういう、なんとも後味の悪い毒をぽんと投げ出してしまうのが、角田さんなんだねぇ
2007年03月19日
彼女のこんだて帖
![彼女のこんだて帖 [大型本] / 角田 光代 (著); ベターホーム協会 (編集); 魚喃 キリコ (イラスト); ベターホーム出版局 (刊) 彼女のこんだて帖 [大型本] / 角田 光代 (著); ベターホーム協会 (編集); 魚喃 キリコ (イラスト); ベターホーム出版局 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/31868YB1CNL._SL160_.jpg)
4年間交際した男と別れた夜にラムのハーブ焼きを作り、かみしめる協子。その友人・景が作る中華ちまき。景の姉・衿が食す、夫の手になるミートボールシチュウ・・・次々にゆるく繋がっていく関係の中で、それぞれが作り、味わい、かみしめるひとコマひとコマの物語とそのレシピ。
食べるということを通して、ここでもあそこでも、多くの物語が生まれ、物語という形にさえならないまま続いているのを感じる。
悲しくても食べる。自分を奮い立たせるために食べる。痛みを溶かすために食べる。誰かを想って食べる。誰かと一緒に食べる。
それほど、食べるということは生きることにぴったりとくっついているのだ。
きっと読み手の多くが、どの物語かに自分を重ね、共感することだろう。
私にとっては、20年以上おなじ物を食べ続け、今食べたいものがぴたりと重なる魚屋夫婦の物語が、そう。
その最後の魚屋夫婦の物語がまた、くるりと最初の協子の新しい幸せへとつながっていく。
なんとも心憎い。
自分のため、誰かのために、レシピを見ながら新しい料理に挑戦するときのわくわくする気持ち、しばらく忘れてたなぁ。
読んだその日に、さっそく豚柳川を作ってみた。
レシピは少し甘めだったけれど、次はうどん?漬物?楽しみは続く。
2006年03月14日
おやすみ、こわい夢を見ないように
私は人とぶつかるのが苦手だ。自分を主張してぶつかるより、不本意でも相手に合わせる方が楽。
だから、この短編集のように友だちだと思っていた人から、恋人から、 家族から、むきだしの悪意を向けられるなんてのは、考えるだに恐ろしい。
でも実は誰もが、人をさげすんだり、憎んだり、そういう瞬間はあって、硬くしこった嫌な部分から目をそらしたり、大きなかたまりにならないようやりすごしたりして、 危ういバランスをとっているんだなあと思わされた。
「こんなはずではなかった」姿に育ってしまった中学生の娘と母親との葛藤を描く『うつくしい娘』はある意味、とても現実的で共感できる。子どもという存在は、 時にとても怖いものだから。
自分と切り離して考えることのできない存在なのに、いつの間にか理解できないことをするモノに育ってしまう。自分の子どもに「他人」を見せつけられ、 でも逃げ出すことも放り出すこともできない。
それでもそういう気持ちがあるなら、この親子もきっと大丈夫なんだろうなと思える。
2005年08月28日
対岸の彼女
読みたいと思いながら予約数に気負けしてそのまま忘れていたところ、先日図書館で見つけた。
そういえば読んでなかったんだわと思い出し、いそいそと借りてきた。
今まで読んだ角田さんの本は、変な人が出てくる変な話が多いなという印象で、特別いいとも好きだとも思わなかった。
でもこの本は読んで正解だった。これが角田さんなのか、いいじゃんと初めて思った。
物語は、3歳の娘を預けて働きに出ることにした小夜子と、雇い主である女社長葵の現在と、葵の学生時代のストーリーが交差しながら進む。
10代の葵は過去の私、母親である小夜子は今の私とシンクロする。女のやること思うことって、代わり映えしないのかな。程度の差はあれ、 自分の立ち位置を気にしながら生きている気がする。
「友だち」っていうのは、いくつになっても難しい。
環境が選んだ友だちは、環境が変われば簡単に友だちでなくなってしまうことが多いけれど、大人になればそうそう自分をさらけ出してぶつかることも難しい。
形だけの軽い付き合いで十分ことが足りてしまう場合も多い。
否応なく関わらざるを得ない人間関係が増え、年齢や環境の違う人と関わる場面も多くなる。
嫌な面を見たり見られたり、傷ついたりするのを覚悟して踏み込むのは勇気がいる。
人によく思われたいと思わない方が難しい。どうでもいい人に何と思われようと構わないと割りきるのもまた、容易なことじゃない。
でもそれは、友だちに限らないかもしれないな。信頼できる人間関係を作ってゆくには、言いにくいことを口にしたり、 意に沿わない言葉を素直に聞いたりする勇気が必要なんだろう。
人と関わるわずらわしさ、それ以上に出会う喜びがあることを私も信じたい。
2004年06月29日
あしたはうんと遠くへいこう
「ここじゃないどこか」で、いつかは幸せになりたいと願い続ける女の子の15年の物語。
読みながら、ずっとイライラしていた。
高校時代の彼女は同時代の自分を思い出させて痛かったし、その後も変わらず「どこか」で「誰か」が助けてくれるのを待っているような生き方は、腹立たしささえ覚えた。
本人は一生懸命なんだけどなぁ…不器用というか、誰かに大事にされたり、自分の価値を認めてもらったりしたことが、あまりなかったのかもしれない。 もっと自分を好きになれれば良かったのに。
でも。うんと遠回りをしても、時には逃げても、幸せになれればいいなと思う。
この少女、現状はずいぶん違うけれど、私と似ているところがあるから嫌だったのかもしれない。
2003年06月01日
空中庭園
京橋家の家庭方針は、何事も包み隠さずがモットー。なぜなら隠すというのは、恥ずかしくて悪いことだから隠すわけで、 そんなものは京橋家の生活の中にありえるはずがないから。
けれどそんなモットーとは裏腹に、家族それぞれが秘密をもっていたり、言えないことをたくさん抱えて暮らしている。 そんな父、母、姉、弟、祖母、家庭教師、それぞれの物語。
「うちの家族には秘密がない」そんな家族って、あるんだろうか?
大人でも子供でも、嘘はつかないけれど言わずにいることなんて、たくさんあるだろうし、本当のことだからといって何でも言えばいいというものでもないと思う。
で、この京橋家なのだけれど、考えてみればどこにでもありそうな家族なのだ。
自分の母親のようにだけはなるまい、母親に自分の家庭だけはごちゃごちゃにされたくないと必死になる母・絵里子には共感できる部分もあるけれど、 結局から廻りしているようで、どこか哀しい。
弟・コウが一番冷静に家族を見つめているかな。父親に彼ぐらいの聡明さがあればなぁ。
そういうないものねだりをしてしまうのもまた、家族なのでしょう。
赤裸々家族模様のこの物語、好きか嫌いかといえば、あまり好きじゃないかも・・・
2003年04月25日
愛がなんだ
わたし山田テルコ、データ入力会社の会社員、28歳は恋をしている。
相手は5ヶ月前に出会った田中守、マモちゃん。マモちゃんと出会って以来、私の生活はマモちゃんを中心に廻っていて、その他の事、 仕事や友達・自分自身の評価なんかは全てどうでもよくなってしまった。
マモちゃんとは恋人になりそうだったのになれなくて、宙ぶらりんの友達のような存在のまま、 決して嫌われないよう、ひたすらマモちゃんの都合に合わせられるよう待ち続けるのだった。
とまあ、一途な女性の恋物語である。 その一途さが半端じゃない。
いつどんな時も例外なく、最優先するべきはマモちゃん。 会えない?と言われれば、何はさておき跳んで行き、会う時は、どんなに無理したとしても、なんでもない顔をする。
私は好きだからやってるの、全然大変でも迷惑でもないから気にしないで。
都合のいい女?いいじゃない、私が好きでやってるんだから。
友達も仕事も失い、それでもマモちゃんに合わせられることが何よりうれしいテルちゃん。
マモちゃんが好きになった人との仲を取り持ってでも、マモちゃんに関われれば幸せ。
本人も自覚してるけど、平和なストーカーなのだ。
もう見ちゃいられないくらい、みっともなくて、情けなくて、バカじゃないの?と思う。
そして、そこまでなりふり構わず人を好きになれるテルちゃんを、やっぱりすごいと思ってしまう。
自分も覚えがあるけどね、それは中高生の頃のこと。
28にもなって、後先構わずただ人を好きになるなんて、難しい気がする。
でもこういう人がそばにいたら、きっと傍で見てる方が辛いだろうな。痛々しくて。









