2003年07月14日
カザルスへの旅
読まなくきゃ、読まなきゃと思いながら、なかなか手がつけられなかった伊勢さんの本。
13才から18才まで学んだセロの恩師が敬愛していたカザルスを訪ねる旅、芸大卒業後、家を飛び出しパリで一人暮らしをしていた時代のこと、そして宮沢賢治に惹かれ、 遠野・花巻への旅、原風景とも思える北海道の子供時代の物語。
多くは伊勢さんの自分探しとでもいうべき旅の記録なのだが、読めば読むほど、伊勢さんという人に惹かれてしまう。
ひとところに落ち着き安定することを良しとせず、いつも自分を追いつめて駆り立てていくような生き方。このままではいけないというあせりと飢餓感、 そして自信に裏打ちされているような、見切り発車のような、衝動的な行動力。 全てが私を奮い立たせる。
心安らぐ物語りもいいけど、自分は今何をやっているのか?このままでいいのか?と我が身に問わずにはいられないこういう本も、私には必要なんだと感じる。
伊勢さんが賢治に惹かれるのは、彼女もまた身のうちに修羅を飼う人だからだろう。
音楽をよくする人なら、もっと伊勢さんの感じたものに近づけた気がする。それがとても残念。
2002年09月14日
はじまりの記憶
ノンフィクション作家と画家のふたりが、「かなしみ」や「空」「存在理由」といった同じキーワードでリレーしながら、幼少期の思いや風景を語る連作。
伊勢さんに思い入れのある私は、彼女の生い立ちや子供の頃の話を、とても興味深く読んだ。
年子の妹がいて母に甘えられなかった幼児期、北海道での野生児時代、溺れた記憶から拒否反応を持っていた水の克服、父や祖父、そして娘たちへの思い。
逆子で大難産の末生まれた彼女が、いかに勝気で思いこむと一直線で、風変わりであるか、
その魅力が、思わず笑えるイラストとともに見えてくる。
子供がぐんと伸びる前には、必ず妙に甘えたり逆らったりするけれど、そうやって自分の存在と
それを受け止めてくれる誰かや何かを確かめているのだと思う。
幼少期の原風景に立ち返るというのは、大人になってからその作業をしているようなものだから、
なるほど確かに、すごく前向きな姿勢なのだな。
私の幼少期も、子供であるための哀しみに満ちていた気がする。
そうした思いが、結局今の自分を形作っているのだと思うと、ただいらだちながら前を見続けるより
時には振り返ってみるのもいいかもしれないと思える。
柳田氏の描く植物のスケッチも、こまやかでほほえましい。 絵も、人柄を表すようだ。
2002年04月14日
1000の風 1000のチェロ
同じチェロ教室の少女は、ぼくのチェロの音を犬の声みたいだと言った。
いなくなったグレイを忘れられずにいるぼくは、神戸から来たというその少女と、阪神大震災復興支援コンサートに、1000人を越すほかのチェロ弾きと一緒に参加する
13歳の時からチェロを弾く絵描き・伊勢さんが訪れた、大震災あとの神戸の情景と、そこに住んでいた人や者たちへの思い、そしてグレイを喪った痛みが、「ぼく」の姿に重なる。
時の助けを借りてもなお越えられない、喪った者への悲しみと慈しみが、それぞれの物語を抱えたチェロ弾きたちの思いとともに、再生へと向かうようなすがすがしい絵本。
「みえないいぬをだきしめてひいた」チェロの音色は、きっと願う相手のもとに届いたことだろう。
2002年04月10日
ぶう
2002年03月27日
グレイのしっぽ
グレイ最終章。 てんかんの発作がひんぱんに起るようになったグレイのために、グレイ用バリアフリーの家に引っ越した絵描き一家。 けれど、大きな発作を起こしてCT検査を受けた結果、肝臓と脾臓に悪性で進行の速いガンが見つかる。 痛みをとるための手術を受け、つかの間グレイらしい表情を見ることができたが、5歳の誕生日を迎えたグレイは、進行する病に蝕まれ弱っていく。
そして、グレイという支えを失いつつある家族は、いら立ち、不安定になる。
死にゆく者を看取るというのは、こんなにも大変で、切なくて、やりきれないものかと思う。
できることなら、何も、誰も、喪わずに生きていたい。 でもそれは、叶わないことなのだ。
ならば、グレイが最後までグレイであるように、ただ、生きられる時を精一杯生きる、その誇り高さに見合うように、最後まで目をそらさず、その死を見届けようとする絵描き。 壮絶な覚悟が痛いほど伝わる。
渡された絵と文字で、その情景を追ってきた私もまた、グレイの喪失感から、しばらく抜けられそうにない。
けれど、グレイが逝って2年後、阪神大震災復興のためのチェロコンサートに参加した絵描きが、
哀しみや痛みを乗り越えていくように、頭をしゃんと上げて、生きていかなければと思う。
今、生きていること。 そして、一人ではないこと。 それは幸せなことなのだ、と思わずにいられない。 この本を、子供のための本棚だけに埋もれさせておくのは、絶対にもったいないと思う。
2002年01月29日
グレイがまってるから
建築家と絵描き、大Mと小Mの姉妹の家族もとにやってきた、ハスキー犬の子犬グレイ。
1年ほどの間に抱えられないほど大きくなってしまったグレイとの、しつけ・訓練・散歩・病気…
生き生きとしたスケッチと、慈しみに満ちた言葉で、絵描きや家族との日々が語られる。
主人を主人とも思わないグレイのなめた態度に、思わず大笑いしてしまう場面もあるが、
グレイと共に風の匂いをかぎ、流れる雲をながめる…そんな場面を読み進むうち、
同じ風景の中に立ち、風を感じているような気にさえなる。 文もだが、何より絵がすばらしく、いいのだ。
一瞬の表情や情景を絵という形で見せてくれる絵描きさんに、憧れてしまった。
2001年12月24日
気分はおすわりの日
気まぐれでおねぼうな絵描きと、建築家、その娘達大Mと小Mの家族にハスキー犬のグレイが
仲間入りして五年。 甘えん坊でものぐさで、どうしようもなくかわいいヤツ・グレイの闘病と看取るまでの日々を、スケッチとともに書きとめたもの。
読む、というほどのものではないとタカをくくっていた。
あちこち書き散らされたグレイの表情を、犬好きなら楽しめるだろう、ぐらいに思っていたのだ。
ところがグレイとの日常、病気をしたり、バカな事をしたり、それを見守る絵描きの目は、
一人の子供に対するのと変わらない暖かさと重さを持った「おかあさん」の視線だった。
そして死にゆく彼を見つめる、厳しい目でもあった。 家族だったのだなぁと思う。
犬であることを忘れるような、グレイのしぐさ、表情が微笑ましい、すてきな1冊だった。
2001年04月30日
マキちゃんの絵にっき
小さいマキちゃんの目を通して描かれる、お姉ちゃんのマエちゃん、絵を書くお仕事をしているお母さん、いつも忙しいけどお母さんとは違ったいい匂いのするお父さん、 保育園の先生達、
そして少しずつ大きくなっていくマキちゃん自身・・・
「おとうさんしているときや、おかあさんしているとき、すくないかもしれないけど、マエちゃんやマキちゃんがいてほしいときは、いてくれるから、まあいいや、 と思います。」
言葉の裏に「ごめんねマキちゃん」が見え隠れする、挿絵もすてきな絵本(?)です。
本屋で拾い読みしている時、不意に鼻の奥がツンとなってしまいました。
私も「こどもだったときがわすれられないおとな」なのかもしれません。









